wanna be your fellow

雑多な愛を叫べ

5年ぶりにスタァライトされてきた話

私です。

 

「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」、友人に誘われ浮かれて見に行ったら案の定めちゃくちゃに心を焼かれました。

アニメリアタイ勢が約5年ぶりにスタァライトされたらこうなった感想文」をしたためさせていただきます。全ての文末に(しらんけど)がついていると思って、さらっと目を通していただければ幸いです。

 

まず思ったのは情報量の多さ。目から入ってくる情報、耳から入ってくる情報、映画館で見ているからこそ感じられる触覚的な情報。1mmも気抜いてられんのな……

そんな、ある意味極限まで張りつめた状態にいるにも関わらずスクリーンに釘付けになれてしまう、やっぱり舞台原作が故の特色なのだろうなと思いました。

以下は本編の感想です。やたら長いです。適当に読んでください。

 

 

ありがとうわがままハイウェイ

シンプルに曲が好み。考えてみればGANG☆STARとかゼウスの仲裁とか好きな人間に刺さらないはずがないんですよ。この曲のおかげで来年度ジャズ史を取る決心がつきました。頑張ります。(動機うっす…)

ふたかおといい真矢クロといい、アニメ版で追う/追われる関係のふたりの立場がレヴューで逆転するのめっちゃいいなと。ふたかお民真矢クロ民はぶっ倒れたんじゃないでしょうか。

わがままハイウェイ、お互いを「わがまま」だと歌っているけれど、絶対どっかでは分かってるはずなんだよな…

 

露崎……………(エアハグ)

あの子はほんと~~~~うにいい子だよ…………

VSひかりちゃんのレヴュー、見てみたかったからうれしかった。あのときのまひるちゃんがどこまで演技なのかは分からない(全て演技だと言い切れないところが露崎クォリティだと思ってる)けど、最終的にひかりちゃんの背中を押せたのは、華恋ちゃんに、そして華恋ちゃんが憧れたひかりちゃんに憧れてしまったからだと思います。ここでまひるちゃんはようやく、言葉を選ばずに言えば当て馬のような役割を終えて、まひるちゃん自身の物語を描き始められるのでしょう。

あと冒頭の進路調査のくだり、「スタァになります」って言えるようになったんだね…北海道にいた頃はまだ「スタァになりたい」としか言えなかったし、聖翔に来て華恋ちゃんという強烈な存在に出会ってしまってスタァという夢すら遠くなってしまったのかもしれない。それでも嫉妬のレヴューもろもろでもう一度立ち上がってキラめいている自分に気付くことができたのです。立派になって、露崎………………(エアハグ)

同伴した友人は初見で泣いたそうです。わかります。

 

大場ななによるロンドの終わり

アニメ編で彼女は99回聖翔祭の「スタァライト」を再演し続けていました。ひかりちゃんの転入と華恋ちゃんの乱入により再演は途切れてしまうわけですが、あれは途切れただけで終わってはいないと思っていて。だからばななはああやって仲間たちに、じゅんじゅんに刃を向けたんだろうなと思います。狩りのレヴューでじゅんじゅんと戦って、負けて、泣いて、約束して、あそこで本当の意味で彼女のロンドは幕を閉じた。やっと彼女は未来に向かって歩みを進められるのです。最後の言葉「眩しい」は彼女の心からの気持ち。偽りのない想いだったのではないでしょうか。

ばななが過去に縋っていたのはもちろんスタァライトが本当に楽しくて、終わらせたくないからなんだろうけど、もしかしたら変わってしまうことが怖かったんじゃないかな?とも。

てかがるぅって何?

 

星見純那を応援したい

スタァライトのキャラクターたちはみんな好きですが、いちばん応援したいのは断トツでじゅんじゅん。

じゅんじゅんの武器は言葉。先人の言葉を身に纏い、自分を奮い立たせることで相手と対峙します。でもそれを真っ向から否定され、翡翠を壊されてしまった。ひでぇよ、大場なな…

それでも立ち上がった彼女が手にしたのは刀(=力)でした。借り物の刀だったのにも関わらずばななを下してしまったのは、本来の星見純那はもっと感覚的に生きている人間だったからなのではないかなと。狩りのレヴューで星見純那が得たものは、というか取り戻したのは野生の感覚だったのかもしれません。

アニメ版で誰かに勝ったシーンが描かれていないんですよね、じゅんじゅんは。大場ななとかいうやべーやつに追い詰められながらも最後は上掛けを落とすことに成功するんです。星見担のみなさんはきっと救われたでしょう。私もうれしい。じゅんじゅんはもう素敵なスタァだよ。

どこまでも努力型の人間の名前に「星」が付いてるの、良過ぎないか?

 

人間になった天堂真矢と人間・西條クロディーヌ

真矢クロの話もする。

映画を見ていて、いちばん殻を破ったんだなと感じたのが真矢様でした。アニメを見ていて、主席としての貫禄、圧倒的な実力を感じることはあっても、どこか無機質に見えて。他のキャラクターたちにあるようなスタァへの渇望、舞台に注ぐ情熱をそこまで感じられずにいました。

パロの話を出して申し訳ないのですが真矢様ははがねタイプだと思うんですよ。多くの攻撃技を半減してしまう、タイプ相性的な優勢を取れることの多い存在。それはサラブレッドであることや主席という圧倒的な肩書を保持する天堂真矢の姿と重なります。それ故に燃えるような煌めきには弱い。

今回の劇場版において神の器をドロドロに溶かし、舞台を焼き尽くし、天堂真矢を人間にしたのは他の誰でもない西條クロディーヌだったわけです。クロちゃんが炎を持っているから、真矢様の心の奥の黒い感情が露呈した。真矢様はあのレヴューで人間としての天堂真矢を取り戻したのかもしれないなと…

 

愛城華恋が怖い

鑑賞前、友人に「華恋ちゃんについてどう思う?」と問われた私は「あの子が怖い」と答えました。

何が怖いって、あの子は幼い頃に交わした約束を果たすために舞台に立っていること。そのためなら聖翔に合格することも、レヴューに乱入することも、再演を止めることも、神楽ひかりでさえも奪えないキラめきを持つことだってできてしまう。恐ろしくないですか?

ひかりちゃんも同じ理由でスタァを志したわけだけれど、華恋ちゃんより先に舞台に出会っているから「舞台が好き」という土台はしっかりあると思うんです。華恋ちゃんはそれすら曖昧じゃないですか。いやきっと好きなんだろうけどひかりちゃんとの約束が大前提。約束が舞台少女・愛城華恋の大部分を占めている、下手したら全てかもしれない。だから平気な顔して「私にとって舞台はひかりちゃん」とか言えるわけなんです。華恋ちゃんの持つ怖さは無邪気さなんです。

 

大場なながロンドなら愛城華恋はソナタだと思うんですよ。

超!簡略化するとこんな感じ*1

華恋ちゃんは提示部(=ひかりちゃんとの約束)から進めていないんです。約束を交わしてから、ずっと提示部を繰り返して生きている。約束を果たした(=100回聖翔祭でフローラとクレールを演じられた)後も。だからひかりちゃんを失った後や自分だけの舞台に踏み出せずにいた。大場ななとそう違いはないのではないでしょうか。

この劇場版を通して、別れのレヴューと再生産のレヴューで華恋ちゃんは初めて、真の意味で再生産ができた。ひかりちゃんへの依存を断ち切り、ひとりの舞台少女として歩む決意を固めた舞台少女・愛城華恋の死と、再生産の物語だったんです。きっと。

 

きっとひかりちゃんとの約束が「舞台で会うこと」でなくても、例えばスポーツや他の芸術だったとしても同じようにのめり込んでいたんじゃないでしょうか。ひかりちゃん大好きジャ~ンで片づけられればいいんだけどなんかもうそういう次元じゃない。怖い。

 

未完成の脚本

作中には未完の脚本が出てきます。B組の雨宮さんが決起会までに書けなかったスタァライト。あの本はきっと舞台少女そのものであり、劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライトであり、樋口さんが書かれた脚本なんだろうと思いました。

トークショーで樋口さんが仰っていた「映画の舞台少女化」というのは、未完成を美しいと捉える価値観があるから生まれるものです。それがどこから来るのかというと、日本のアイドルの影響が非常に強くあるのだと思います。

右も左も分からない状態の少年少女/青少年たちが、人に見られることでアイドルとしてのアイデンティティを確立し、成長していくという過程を楽しんでいる節は大いにあるでしょう。かくいう私も例に漏れず、アイドルの成長に熱狂している人間の一人です。彼らは最初から完成された形ではなく、未完の状態で私たちの前に姿を現します。その伸びしろだとか、未完であるなりに一生懸命になっている様に心を動かされ、声援を送ってしまうのです。私たちが未完成の舞台少女に、この映画に惹かれてしまう理由はきっとそこにあります。*2

 

あの子は舞台少女、私はトマト

何度も登場するトマト、あれは私たち(観客)自身と解釈しました。

舞台少女たちはあれを食らっていましたが、本来トマトを食べるかどうか、血肉や糧にするかどうかは彼女たち次第だと思うのです。

「皆さんの応援が力になります」って言ってくれるじゃないですか、舞台少女たちは。舞台少女でなくても、それこそアイドルだとか俳優さんとかミュージシャンとかなんでもいいんだけど、そう言ってくれる人はとても多い。私たちはその言葉に勇気づけられ、彼ら/彼女らの力になると信じて声を届けたり、目を向けたりして生きている。

トマトが破裂すること、即ちこちらの目や声が溢れてしまうことは、舞台少女を死に追いやる危険を孕んでいる。舞台少女たちが血を流して倒れたシーンは私たちに魂を売った抜け殻のように思えました。それさえも燃やしてキラめきを生み出していく彼女たちの姿に心から眩しいと言いたくなりました。本当に強い子たちだなと。

そんな彼女たちに食べられるのなら、こちらはできるだけ美味しくいたい。彼女たちの血肉になるのならば、できるだけ消化に優しくいたい。どうかこの目が声が貴方を蝕む毒とならないようにと願って。

卑屈陰湿キモ人間なせいで卑屈解釈になるだけでもっと救いある解釈もできるはずなんだよ………

 

「落ちる」ということ

※2/6 追記しました

この作品で何度も登場する、どこか高いところから落ちていくシーン。時間をかけて頂上を目指すけれど、地に落ちる時間は一瞬です。これらを見ていて、生産と消費の関係に似ているなと感じました。

生産者は途方もない時間を使いものを作る。しかしそのものが消費される時間は生産に要した時間の何割に当たるのでしょうか。私が書いている文章だってそうです。8~9時間くらい練って書きましたが、これを読むのにかかる時間はたかだか3、4分くらい。途中で離脱してしまう人だっているでしょう。

だから丁寧に読んでください、とかよく味わって消費しようね、とかそういうことじゃなくて。これは世の理だから仕方がない、どうしようもないというか。華恋ちゃんはそういったものを背負って塔から落ちたのかもしれないね…

 

 

本当に本当に誰だお前案件なんですが、アニメリアタイ勢としてはアニメが終わってからもあんなにたくさんの方々が舞台少女のキラめきに触れているのだなと思うととっても嬉しかったです。みなさんがああやって何度も劇場に足を運んでいたから、私はもう一度、奇跡的にキラめきを浴びることができました。よくぞ…よくぞ……という気持ち。そして映画を見たことで、私自身の中にまだ舞台少女のキラめきを享受するだけの気持ちがあったことに気付くことができました。ありがとうございます。

うっかり出戻りしそうで怖いなぁと思いつつそっと見守りながら、美味しいトマトとして生きていこうと思います。ありがとうスタァライト。ありがとう舞台少女たち。これからもとびっきりキラめいていてね。

 

連れて行ってくれた友人、改めて本当にありがとう。等価交換してもらえるのであれば嵐の映画を見てください。そして感想を聴かせてください。

*1:再現部は繰り返さないこともある

*2:K-POPファンの友人曰く、彼らは最初から完成された状態で世に出るそう。それもまた美しい